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2014年7月6日 - 2014年7月12日

2014年7月 9日 (水)

スライディング

電車の中で前に座っていた白髪頭にメガネの実直そうな男性がカバンから書類の束を取り出して膝の上に置くと、赤ペンで何やら記入しはじめた。

書類には担当営業によって商談件数、見積り依頼獲得数、受注数、商談の感触や展望、日常業務をこなすうえでの悩みなどが書かれていた。彼は恐らくリフォームか何を扱う会社の管理職と思われ、部下達から提出された営業週報にコメントを書きこんでいたのだった。

報告書に書かれる若手営業マンの焦燥。
「先週より商談が進展しない。信頼されていないのではないか。」

それに対してのコメント。
「私はあなたを信頼してお客様に紹介しています。まずは自分を信頼する事からです。来週から自信を持っていきましょう」

男性はスムーズに誠実なコメントを記入し、次に目を通す。電車の「ガタン、ガタン」という走行音と彼がテンポよく紙をめくり、ペンを走らせる音がシンクロして心地よいリズムを作りだしていた。

そんな調子で何枚か進むと、きわめて淡白な吉田君(仮名)の報告書があらわれた。
受注はおろか見積もり依頼獲得件数、商談数もゼロ。乱暴に書きなぐられたゼロ。結果がでないというより、戦場を放棄しているとしか思えない。
魂のない週報を見下ろして男性の動きが少し止まった。空調の効いていない車内で紙の束が少し揺れたように見えた。そして彼は赤ペンでコメントを記入した。

「吉田君(仮名)、先週に続き商談も見積り獲得もゼロとは寂しい限りです。社内ソフトボール大会の時のスライディングのようなガッツを見せてください」

スライディング。

覇気のない勤務態度の吉田君(仮名)が見せた勝利への執着。
ガッツあふれるスライディング。どんなスライディングじゃい。

灼熱の日差しを浴びながら繰り広げられている営業2課との決戦、1-0でリードされた最終回の攻撃。2アウトから絶妙なプッシュバントで出塁した吉田君はエラーでセカンドまで進む。

2課の抑えの切り札、キューバ支社からの出向社員キンテーロが下手投げで渾身の一球を投げ込むと、営業3課の稼ぎ頭、田所君は狙いすましてジャストミート。ヒット性の当たりはショートの頭上を越え、ライト前でワンバウンド。吉田君は三塁に向かって渾身の力走を見せる。事務の勅使河原さんの黄色い声援が背中を押し、力学的にありえないフォームで走る彼の加速を手伝う。

ライトはワンバウンドの球の処理をいささかあやまりお手玉。それを見た三塁コーチの西田主任は右腕を高速回転させる。これは息も絶え絶えに疾走する吉田君へののミッションを告げるサインだ。
「回れ、ホームベースにつっこめ」

「ふぁえっぱ」

声にならない叫びを挙げながらサードベースを蹴る。全く減速しなかったので遠心力で外に大きくふくらみベンチに激突しそうになるもなんとか持ちこたえ、半分横走りのようなフォームで強引に軌道を修正しながらホームベースに突っ込む。しかしボールは打ったコースをそのまま引き返すようにショートを中継して矢のような勢いでホームに返球されてきた。

普通に走り抜けたのでは間に合わない。すなわちそれは試合に敗れ、お茶にオフィス裏の沼の水を使われたりする屈辱の日々が続くことを意味する。

危機を感じた吉田君は道半ばで崩れ落ちるようにヘッドスライディングすると口を大きく開き、「妙妙妙々々々...」と殺生石のような毒気を放ちながら大きく息を吸い込んだ。

するとホームベースはキャッチャーの足元を離れ、みるみる内に吉田くんの口元に吸い寄せられる。両手で抱え込むようにしてホームベースを確保し、その場にうずくまる吉田君。執念が生んだ、人類が見た事もないスライディングの誕生であった。パチ、パチ、パチ、パラパラと拍手の音が聞こえはじめると、ほどなくそれは敵味方分け隔てなく彼のガッツを讃える大喝采へと変わった。判定は非紳士的行為でアウトだった。

みたいな事を帰り道すがら考えていたが「ちょっとガッツあふれるとかいう感じじゃないな」と思った。吉田君(仮名)、とりあえず営業もっとがんばれ。

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